軍人勅諭

SUMIRE2006-05-28

そう、教育勅語なのだった。


叔母は長い間透析をうけている。
透析中のベッドの上で、何か癒しになる読み物が欲しいということで、
般若心経やら小倉百人一首やらを用意しているらしい。
そこまではわかるが、
教育勅語軍人勅諭にまで、癒しを求めるとなると、
若い頃に培われた精神、脳構造を改めて思い知る。
そうだった。叔母は従軍看護婦だったのだ。


十年ほど前、どこかで入手した夫が、教育勅語の書いた紙を、
叔母に送ったことがあるそうだ。
紛失したので、また送ってほしいという依頼の手紙、
単身赴任中の夫に電話したら、当然のことながら絶句状態。
パソコンで検索してみる、という返事で切れた。

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義母にも妹がいたことを、しばらく忘れていた。
我が家から歩いて五分ほどの家庭菜園の草抜きを、
ヒロコと一緒にやりたいから、といつのまにやら連絡済だったようで、
買い物から帰ったら、
隣町に住む義母の妹のヒロコさんが、居間にちょこんと座っていた。


何泊かするのだろうが、当然飯炊き当番はスミレなのであった。